医療翻訳家のブログ

医療翻訳家のブログ

イギリスの翻訳会社の正社員。20代。イギリスの片田舎に住んでいます。都会に引っ越したい。医療の知識なしで翻訳者になってしまいました。医療関係者ではない視点から、医療英単語やフレーズをどのように訳せばいいのかを解説します。

英語にない概念①「気を遣う」という日本の独特文化と忖度

f:id:honyakuiryo:20200906173652p:plain


こんにちは。以前このブログで、日本語にない英語の概念としてpresentを紹介しました。現在ここに存在するといった意味でした。こちらです。

 

honyakuiryo.hatenablog.com

 

今回はその逆で、英語にない日本語の概念として「気を遣う」ということ、そしてその行き過ぎた結果である「忖度」の考察をしてみようと思います。英語の紹介もしますが、気を使うとはどういうことなのかの言語化、そして言語から見える文化の考察の取り組みがメインになります。

 

 

「気」と英語

日本語には「気」の付く言葉がとても多いんですね。「気になる」「気が付く」「気持ちがいい」「その気がある」などなど多数あり、「気」という言葉は様々な動詞と共に大変良く使われます。あまりにありふれた言葉なので、普段私たちはわざわざ「気ってなんだろう?」とは考えません。「気」という概念は1つのものであり、言語化は難しいですが私たちは体感でその意味を理解し、私たちの世界に浸透しています。

 

しかし、英語では「気」という概念はないので、私たちはその文脈ごとに使う動詞を変えることで普段対応をしています。例えば「気になる」という言葉。よくよく考えてみると、悪い意味で気になると言ったり、いい意味で気になると言ったり、「気になる」には色んな使い方があるんです。ちなみに「気になる」を訳すときに使う動詞はこちらの記事が参考になるかもしれません。

eikaiwa.weblio.jp

 

「気が利く」と英語で何て言うの?

 

さて、本記事の本題は「気を遣う」という概念についてでした。いい意味で「気が利く」と言う場合、considerateがしっくりきそうです。considerateの意味はこちら。

 

kind and helpful:

It wasn't very considerate of you to drink all the milk.(牛乳全部飲むなんて思いやりがないよねえ)

 

caring about and respectful of others:

He is always a kind and considerate host.(彼はいつも親切で気の利くホストだ)

出典:https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/considerate(訳は拙訳)

 

これを見てみると、どうやらconsiderateには、「親切で役に立つ」という意味と、「他人を大事にし、他人に敬意を払う」という意味があるようです。「気が利く」というのは他人の気持ちを配慮して行動することですから、considerateの意味と被る部分が多いですね。

 

attentiveも同じような意味を持ちます。

 

 If someone is attentive, they are very helpful and take care of you:

He was very attentive to her when she was ill.(彼女の体調が悪かった時、彼は非常に優しかった)

 (出典:https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/attentive)(訳は拙訳)

 

イギリスで聞いた言葉で、私が一番「気が利く」に近いと思ったのはthoughtfulです。

kind and always thinking about how you can help other people:

(出典:https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/thoughtful

 

「優しく、他人をどうやって助けるかを常に考えている」。イギリスの職場に社長がお菓子を買ってきてくれた時など、That's so thoughtful of you.と言います。社長に気が利きますね、はおかしいですがニュアンスとしてはそんな感じです。

 

「気」とは何か

 

これは英語の記事ですが、「気」についてかなり深くまで掘り下げた考察が書かれています。

japanology.org

 

それにしてもジャパノロジーとは、面白い言葉ですね。一つの学問分野みたいに聞こえます。

記事の中では、「気」はあまりにも曖昧な概念で、他の言語に置き換えることが難しいと断ったうえで、「気」の起源が中国語ではchiと発音されるものにあると説明しています。中国語のchiは"the life force that animates everything"、つまり「全てのものに生命を与える生きた力」「エネルギー」であるのに対し、日本語の「気」はもっと微妙で曖昧である。合気道の考え方を引用し、"creative flow and inspiration"、つまり「何かを作り出す流れと直感」であると言っています。

 

「気が利く」「気を遣う」がいかに日本的であるか

 

ここまでを踏まえ、「気が利く」「気を遣う」に戻ってみると、これらが「流れや直感に敏感である」という風にも考えられそうです。「気が利く」とは、細かいところまで心が及ぶこと、と多くの辞書に書いてありました。だから、言わなかったことまでやってくれたり、先の流れを見越して事前に対策をしてくれた人に対し、「気が利くねえ」と言うのでしょう。

 

こうすると、「気が利く」ことと英語のkind、helpful、respectful of othersとは大分乖離があるように感じられます。なぜなら、これらの英語には「流れを読み取る」とか「先の流れを見越す」とかいう意味が含まれているのかいないのか、あまりはっきりしないからです。例えばやってくれとお願いされたことをきちんとやるだけでも、helpfulと言っていいのです。道を教えてあげただけでもkindと言われることもあるでしょう。つまり「気が利く」と英語の同等とされる単語の意味範囲になかなか大きなズレがあるということです。

 

先を読んだり、流れを読んだり、という「気を遣う」ということは「空気を読む」に通ずる日本の文化だと思います。例えば、東京の地下鉄にはどの車両に乗ると降りる駅でエスカレーターが近いかを書いてある紙が駅の柱に貼られています。そういう潜在的なニーズがあったのかもしれませんが、作った人は細かいところにまでよく気が付くなあと思います。そのような紙は少なくともイギリスにはありません。あればあったで便利なのでしょうが、イギリス人がそんなことをするとは到底思えません。面倒ですし、必要かと言われると必要ではないかなと思いますし。これも「気が利く」という概念がない、または重要ではない国の文化なのだろうと思います。日本はお客様第一なのに対し、イギリスはプライベート第一です。仕事の後と週末の計画の方が仕事の何倍も重要なんですよねえ。

 

忖度

「気が利く」の行き過ぎた結果として「忖度」という言葉が最近になって定着してきましたね。ここまで来るといよいよ英語に同等の単語がないですから、メディアでどのように訳されたのかが気になるところです。

 

森友学園問題が話題になっていた時、通訳の方々の間でも「忖度」に対する様々な訳があったようです。一人の通訳の発言がこちら。

 

通訳からの情報として付け加えますが、「忖度」という言葉が英語通訳で少々混乱を招いているようです。何通りかの言い方がありますが、「conjecture(推測)」「surmise(推測する)」「reading between the lines(行間を読む)」「reading what someone is implying(誰かが暗示していることを汲み取る)」などがそれに当たります。英語で「忖度」を直接言い換える言葉はありません。念のため申し上げました。 

 (出典:https://www.huffingtonpost.jp/2017/03/23/moritomo-sontaku-in-english_n_15572790.html

 

別の記事では、忖度は"following unspoken orders"(言葉にはされていない命令に従うこと)とか、"attempting to surmise their superiors’ wishes and acting without explicit directions"(上の人の願望を推し量り、明確な指導なしに動くこと)と訳されています。

 

英語で細かく説明されていることからも分かるように、行間を読んだり他人の言葉にない気持ちを推し量ったりという行動は日本ならではのことでしょう。気を遣うことが行き過ぎた結果として忖度になってしまうのだと思います。

 

ちなみにこの記事のタイトル、

Japan's 'sontaku' clouds where the buck stops in school scandal

これはひねりが利いていてなかなか難しいですが、訳してみましょう。

cloudはここでは「問題を曖昧にする、うやむやにする」。

where the buck stops in school scandalは、the buck stops here(全責任は私にある)というフレーズをもじったもので、「学園のスキャンダルの責任のありか」という意味になります。

よって全文は、「日本の『忖度』によって学園スキャンダルの責任の在処が曖昧に」などと訳せばいいでしょう。

 

さてずいぶん長い記事になりましたが、「気を遣う」や「忖度」に該当する英語1語というものはありません。だから通訳さんたちは文脈に合わせて動詞を選び、時に説明を加えているんですね。英語を話すうえで、該当する英語が分からない・ない時には必要十分な説明を加えることも重要です。そのような訓練も日ごろからしておくと、いざというときにパニックにならなくて済むでしょう。

プライバシーポリシー お問い合わせ